⭕商品詳細
【サイズ】 高さ 8.5cm
直径 14cm
【状態】 口縁にアタリがあります。
画像⑨⑩をご参照ください。
【付属品】 紙箱
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【金重 素山(かねしげ そざん)】
1909(明治42)年~1995(平成7)年
人間国宝・兄の金重陶陽に陶芸を学び、昭和2(1927)年より陶陽の助手として専ら窯焚をつとめる。
大本教を信仰し、同26年陶陽窯を離れるにあたって大本教主出口直日の招請により京都府亀岡市の大本教本部の大本窯、花明山窯を制作の場と定めた。同34年大本教本部京都府綾部の鶴山窯に築窯して独立。
金重家は大本教を信奉していた。
「伊部にある熊山という霊場とされている山が『素山』」だと命名したのは大本教の三代教主出口直日の夫で教主補の出口日出麿であった。
陶陽の元にいた素山は42歳の昭和26年に大本教三代教主・出口直日の招請によって亀岡の大本本部に出向いて、日常の什器を焼くため直日に作陶を指導している。
備前から京都の亀岡にある大本教に通って直日の助手を勤め、大本教で使う日常の什器を焼くための陶芸指導をしていた。
直日に初めて陶芸の手ほどきをしたのは金重陶陽である。
手ひねりのぐい呑100点を作って窯(瑞月窯)と作業場も整えられ、陶芸への本格的な歩みが始まった。
その翌年には京都の清水にあった本格的な登窯を陶芸家の宇野三吾から寄贈されて、亀岡の「天恩郷」に築かれた。
「花明山(かめやま)窯芸道場」という名の作陶場も開設され、花明山窯築窯当初から今熊野蛇ヶ谷に住んでいた人間国宝・石黒宗麿が指導にやって来ており、轆轤を教えるなどした。
石黒は鉄釉陶器や磁州窯の白化粧、赤絵、呉須絵、練込手など、さらに李朝系や唐津風の焼物などを指導しているが、これによって陶陽や素山の作風にも影響を与えた。
こうして金重陶陽はじめ、金重素山・宇野三吾・北大路魯山人・荒川豊藏・河井寛次郎・小山冨士夫・加藤唐九郎など日本の陶芸界を代表する作家が数多く集まるようになり、陶芸文化サロンとなった。
【鶴山窯(つるやまがま)- つる山窯】
・亀岡、天恩郷の花明山窯 昭和26年開窯
花明山、かめ山、かめやま、などの押印が使われています。
・綾部、梅松苑の鶴山窯 昭和34年開窯
鶴の形の押印が使われています。
・大本教の陶芸の流れ
出口王仁三郎の言葉「芸術は宗教の母なり」
王仁三郎は陶芸、楽茶碗など作陶する。京都の陶工・佐々木松楽の協力の元に製作をし、晩年に耀盌と言われる崇高な楽茶碗を作る。
すみこ、直日の花明山窯、鶴山窯い至る。
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