「祇園女御 」
瀬戸内 晴美(寂聴へ改名)
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■内容紹介
平安時代末期、後の白河上皇がまだ東宮だったころ、その妃として藤原道子は入内した。年上の道子は気後れするが、大人びた東宮に寵愛される。だが、ずっと年下の新しい妃・賢子が入内すると東宮の寵愛は賢子に移り、東宮が白河帝として即位したころには、道子は里帰りが増えていた。他方、美少女・たまきは殿上人になる野望を抱く平忠盛に引き合わせていた。たまきこそが、後に貴族社会に影響力を持った女人「祇園女御」なのだが。
巷は天変地妖に衆徒の強訴に脅え、侍は覇を競い殿上を争う。治天の君として、天下に君臨する白河法皇。王朝に咲いた大輪の花の面影はすでになく、山里にこもる皇后道子。この、交わることのない生涯を結ぶ宿命の糸は、数奇な人生を辿る祇園女御、あかね、傀儡子(くぐつ)の鷲丸、そして、皇弟三の宮たちの運命を手繰り寄せ、縺れてゆく。大治4年夏、法皇の崩御で物語は終る。
■著者略歴
瀬戸内晴美 のちに瀬戸内寂聴へ改名
1922年、徳島県生まれ。東京女子大学卒。’57年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、’61年『田村俊子』で田村俊子賞、’63年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。’73年に平泉・中尊寺で得度、法名・寂聴となる(旧名・晴美)。’92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、’96年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、’11年『風景』で泉鏡花文学賞を受賞。’98年『源氏物語』現代語訳を完訳。’06年、文化勲章受章
■桑田雅一 後に宮田 雅之(みやたまさゆきへ改名
1926年10月30日 - 1997年1月5日)は、東京都出身の切り絵画家。本名は徳永雅一(旧姓・桑田雅一)。文豪谷崎潤一郎に見出され、谷崎文学の挿絵画家としてスタートし、「刀勢画」という独創の世界を確立。日本人初の国連公式認定画家に選任される。
日本の挿絵のなかでも、独自の世界を切り開いたのは宮田雅之。切り絵の技法で挿絵の世界に新しい風をもたらした。「岩田専太郎」に近い雰囲気があり、切り絵の技法は、「中国の剪紙」に見られるように古くからある技法。宮田雅之の切り絵の魅力は、その明瞭で鋭い「線の美しさ」にある。さらに言えば、観る人を魅了するその表現の「妖艶さ」にあるといえる。