不動立山(ふどう りつざん)は、明治19年(1986)兵庫県三原郡の農家の次男として生れた。明治34年上洛し、京都市立美術工芸学校に入学し、38年に卒業した。明治40年に1年志願兵として合格、陸軍歩兵軍曹となった。また明治41年から翌42年にかけて神戸市小学校訓導として教鞭をとった。さらに京都市立絵画専門学校の開校により、そこに学び明治45年第2期卒業生となった。大正10年には西山翠嶂に師事し、青甲社の創立に参画した。作品は、文展、帝展に多数出展をしている。昭和17年戦時下疎開のため淡路島に転居し、昭和48年9月京都の自宅に戻るまで居住した。作品は京都的肌目細かな画風の中に、近代的感覚を導入させたものだが、なかには新文展出品作「劫火」などのように、意慾的で逞しいものがある。
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