■高橋松亭 版画5作品(富士山)
マット紙複製仕上
①大室付近
②茱萸澤
③倉澤
④千本濱
⑤精進湖
一般のご家庭で額装観賞する場合、作品より大き目の額縁(作品サイズより縦横それぞれ10センチ程度 以上)を選んでマット額装すると作品が映えます。
【マットコート紙の主な特徴】
光沢が抑えてあるが白色度は高く発色が良い。落ち着いたしっとりとした風合。白色がギラつかないため目に優しい。指紋が目立たず、反射やテカリが無い。
・5作品 プリント渡し サイズ長辺 29.6cm×短辺21.0cm
・掲載画像とお渡しする画像の色合いが若干違う場合がございます
・マット紙使用 5作品。
・Pixelサイズ長辺10000 解像度600dpiで複製プリントしています。
高橋松亭の略歴
高橋松亭しょうてい(一八七一〜一九四五)は、明治時代から昭和にかけての浮世絵師、版画家。本名、松本勝太郎。高橋松亭は、九歳の頃から日本画を学び、十五歳頃には宮内省の外事課に勤め、外国の勲章の写しや、役人の服などのデザインの仕事に携わるようになる。一八九一年(明治二十四年)、岡倉天心を会頭とし、同時代の青年画家らとともに「日本青年絵画協会」を設立する。その他にも、画家たちが互いに批評しあう場として天心が創設した「互評会」に、当時若手だった横山大観、下村観山らと参加している。この頃、転居と同時に教科書や雑誌、新聞などの挿絵を描くようになる。その後、浮世絵の複製版画制作に関わった縁で渡邊庄三郎と出会う。渡邊は、日露戦争をモチーフにした作品を最後に終息していた木版画の文化を復興させたいと、「新版画運動」を提唱し、この運動に高橋松亭も参加する。渡邊版画店より販売された松亭の版画は、海外に輸出され、欧米でも人気となる。