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詳細情報

メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
製品サイズ ‏ : ‎ 12.7 x 13.97 x 1.27 cm; 116 g
メーカー ‏ : ‎ ワーナーミュージック・ジャパン
EAN ‏ : ‎ 4943674064311
時間 ‏ : ‎ 1 時間 8 分
レーベル ‏ : ‎ ワーナーミュージック・ジャパン
ASIN ‏ : ‎ B000GW88KQ
ディスク枚数 ‏ : ‎ 1

ヒップホップ・シーンの最高峰に君臨するクイーン・オブ・ヒップ・ホップミッシー・エリオット、初のグレイテスト・ヒッツが遂に登場!!

【アーティストについて】
本名メリッサ・アーネット・エリオット、1971年7月1日、ヴァージニア州ポーツマス出身。父による母への度重なる虐待、そして両親の離婚と決して恵まれた家庭環境ではなかったが、学校ではホウキをマイクに見たてて友人達の前でパフォーマンスを披露する人気者だった。そんな彼女が父親の暴力から母を助ける為に、そして母親を少しでも貧しさから救い出す為に思い付いた事は歌手になりスターになる事であった。11歳の頃から作曲を始めていた彼女は、'89年女性ヴォーカル・グループシスタを結成。90年、Jodeciのデヴァンテ・スウィングに実力を認められ、デヴァンテのレーベルスウィング・モブを通じてエレクトラと待望のメジャー契約を結ぶことに成功。だが、程なくしてエレクトラとプロデューサーであるディヴァンテの方向性の違いからこのプロジェクトは空中分解。遂にシスタのデビュー・アルバムは陽の目を見る事なく、シスタの全曲を書き下ろしたミッシーの実力も結局世に知らしめる出る事は出来なかった。道が閉ざされたかと思われたミッシーだったが、'96年、フェイス・エヴァンスにソングライターとしての才能を高く評価されチャンスが到来。その後アリーヤの2ndアルバム『ワン・イン・ア・ミリオン』からの1stシングル「If Your Girl Only Knew」を、盟友ティンバランド(ティム・モズレー)とともに手掛け、シーンに新しい旋風を巻き起こす。この活躍によって遂に念願のソロ契約をエレクトラと結んだ彼女は、1997年満を持してデビュー・アルバム『スゥパ・ドゥパ・フライ』をリリ―ス。続く'99年の2nd「ダ・リアル・ワールド」も全米だけで100万枚以上のセールスを記録し連続プラチナ・アルバムを獲得。こうして自身のアルバムと参加プロジェクトによってラッパー、シンガー、ソングライター、プロデューサー、そしてリミキサーとしての非凡な才能とキャラクターを世界の音楽界に焼き付けた。2001年のソロ3作目『ミスE...ソー・アディクテイヴ』では、ジェイ・Z、イヴ、メソッド・マン、レッドマン、ダ・ブラット、リュダクリス、メンフィス・ブリーク、ジェニュワインらヒップホップ界のトップ・アーティストがゲストとして参加。1stシングル「ゲッチュア・フリーク・オン」は盟友ティンバランドのプロデュースによるバウンシーな奇妙奇天烈なトラックに、イントロの「これからミンナで・・・」という日本語が絶妙にマッチし、日本でも大きな話題となった。2002年11月に発売された4作目『アンダー・コンストラクション』は全世界で空前のヒットを記録。オールド・スクールをテーマとしたこの作品は、ミッシーが「古き良き時代のヒップホップを再現したかった」と発言している通り、拡大し過ぎた感のあるヒップ・ホップ・シーンに新鮮な衝撃を与えた。RUN DMCの「Rock The Bells」を効果的に使用した1stシングル「ワーク・イット」は全米シングル・チャートで何と10週連続で2位というモンスター・ヒットに。日本でも「ゲッチュア・フリーク・オン」を越える過去最高のヒット・シングルとなった。1月下旬にはシンガポールで行われたMTV ASIA AWARD出演の後、初のプロモーション来日を行い数多くのTV/ラジオ番組に出演した他、日本では初となるファッション雑誌の表紙も飾った。2月末の第45回グラミー賞では「最優秀女性ラップ・ソロ・パフォーマンス」を受賞し2年連続のグラミー・ウィナーに輝いた。ファットボーイ・スリムが手掛けたリミックスも話題の2ndシングル「ゴシップ・フォークス」も全米シングル・チャートで最高8位を記録と快進撃は止まらず、全米で200万枚突破、日本でも15万枚とミッシーにとって史上最大のヒットを記録した『アンダー・コンストラクション』はヒップホップの長い歴史に名を残す名作となった。2003年はファッション・ブランド「GAP」のキャンペーンで以前から憧れとだったいうマドンナと共演を果たした他、夏に行われたMTV主催のVIDEO MUSIC AWARD 2003で念願のVIDEO OF THE YEARを受賞(受賞曲「ワーク・イット」)し話題となる。2004年5月には待望の初来日公演が実現。ZEPP TOKYOで2晩に渡って行われたステージはミッシーが突然現れたり消えたりするイリュージョンも巧みに取り入れながら、約20人ものダンサーと共にヒット曲をこれでもか!と畳み掛ける圧倒のパフォーマンスで、超満員の会場を熱狂させた。この来日では同時期に開催されたVIDEO MUSIC AWARD JAPAN 2004にも出演し、見事日本でもBEST VIDEO OF THE YEARを受賞(受賞曲「PASS THAT DUTCH」)し、日米ダブル制覇を達成した。7月にはアディダスとの共同プロジェクトでミッシーがプロデュースを手掛けるレディース向けニューライン「RESPECT ME」が全米で発売開始され爆発的な人気を博す。その後も映画『シャーク・テイル』サントラからのリード・シングル「カー・ウォッシュ」でクリスティーナ・アギレラと共演、また全米でセンセーションを巻き起こした歌姫シアラのアルバム『グッディーズ』からの2ndシングル「1・2ステップ」にゲスト参加するなどコンスタントに話題を提供。2005年初頭には自らが率いるレーベル「GOLDMIND」所属でミッシーの幼馴染であるトゥイートのアルバムを入魂の全面プロデュース。そして休む間もないまま新作『ザ・クックブック』を完成させた。このアルバムからの1stシングル「ルーズ・コントロール(Feat. シアラ&ファット・マン・スクープ)」でシアラと再び共演した。
そして2006年、ついにキャリア初となるグレイテスト・ヒッツ『リスペクト・ミー』をリリースする。アディダスと共同プロデュースするクロージング・ラインRESPECT MEと同じタイトルが付けられたこのアルバム、今までにリリースした6作のオリジナル・アルバムからヒット曲を完全網羅した、まさにミッシー・ヒット・コレクション完全版!だ。タイトルどおり、世界からリスペクトを集めるミッシーの動向には今後も目を離せない!!

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