・ベートーヴェン
交響曲 第9番 ニ短調“合唱”作品125
フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団
エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)
エリザベート・ヘンゲン (アルト)
ハンス・ホップ(テノール)
オットー・エーデルマン(バス)
・フルトヴェングラーと第9
ウィルヘルム・フルトヴェングラーが他界してからすでに20年近い歳月が流れてしまった。去る者日々に疎しというはかない人間の世界であるが、フルトヴェングラーだけは別格だ。最近はとくに彼の人気が高く、未発売盤、プライベート盤、海賊盤のたぐいがぞくぞくと現われているが、ファンにとってはいくら出て来ても大歓迎であろう。こんなことはトスカニーニ、ワルター、メンゲルベルク、リナッパーツブッシュなど、他の巨匠た ちには決して見られぬところであり、フルトヴェングラーの芸術が精神的にきわめて高いにも拘らず、多くの人の心をとらえてやまぬ魅力を備えている証拠である。
この「第9」は1951年、戦後初めてパイロイトのワーグナー祭が再開された年の初日に演奏された、フルトヴェングラーとしても記念すべきものである。事実、彼が生前にふった「第9」のなかで、これは特筆すべき出来ばえだったといわれる。そればかりではない。こんなすばらしい「第9」は今後も決して現われないであろう。芸術としての次元がちがうし、音楽に対する態度がまったく異なるからである。
第1楽章の開始前、フルトヴェングラーは「虚無のなかからひびいてくるように」とつぶやいた。そしてその通りにうつろな空虚5度が鳴り始める。楽章全体を通じて表情はあくまで彫りが深く、スケールは気が遠くなるほど雄大で、ダイナミックの振幅は人間業を超えている。それはそうだろう。天才の作品を天才の指揮者がふっているのだ。しかもフルトヴェングラーの力は決して100パーセントのものではない。まだまだすさまじい情熱が抑えられている。そのゆとりが底知れぬ偉大さを実感させる。現実に鳴っている音がこれ以上は出来ないぎりぎりの状態ではなく、音の背後に無限の精神の深さが広がっている。彼はこの楽章全体を通じて、極度におそいテンポをほとんど動かさないが、それがフルトヴェングラーのこの日の造型なのだ。
楽しんで聴いていただける商品です。ジャケットに歴史を感じさせるそれなりの痛みはあります。