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【真作】掛軸 都郷蠖堂『書 松下問童子』紙本 無地箱付 掛け軸 a12232

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■■■商品説明■■■ 森田無絃に儒学を学ぶ・晩年は盲目の幕末~戦前の徳島県草書家 都郷鐸堂(角太郎/別号に屈伸園蠖堂)肉筆書の掛軸です。 「蠖堂書」の下に、朱文の「都郷角印」、白文の「蠖堂」の落款印が押されている。 書の内容 中国で超有名な唐詩 唐時代詩人賈島作『尋隱者不遇』 「尋隱者不遇」 賈島 松下問童子 言師採薬去 只在此山中 雲深不知處 読み: 隠者を尋ねて遇わず 松下 童子に問うに 言う「師は薬を採りに去けり」と。 只だ此の山中に在らん 雲深くして処を知らず 現代語訳: 松の木下で童子に尋ねると、 童子は言った。 「先生は薬を採りに行かれました」 この山中にいらっしゃるのだろう。 雲が深くて行方はとてもわからないが。 【ご参考】 都郷蠖堂 (つごう かくどう) 安政5年2月27日(新暦 1858年4月10日)生~昭和19年(1944)5月23日歿 幕末・明治・昭和の書家。儒学者。教育者。 都郷辰蔵の長男として阿波国美馬郡一宇村伊良原(現 徳島県つるぎ町)に生まれる。名は角太郎、号は蠖堂のち鐸堂。 7歳のときに宮内安芸に入門し、懐素の書を好んで学んだ。15歳から2年あまり田辺籠仙に書を学び屈伸園蠖堂の号を受ける。名東県師範学校卒業後、小学校訓導となったが、23歳で和歌山に渡り、明治15年(1882)、和歌山県の森田無絃の塾で儒学を学んだ。31歳で再び徳島県に帰郷し、明治42年(1909年)52歳で退職するまで小学校長等を務めた。以後、往年の研鑽によって独自の書論を唱え『筆道革新歌』『草訣百韻歌刪修』『大正草字鑑』『ひらかな運筆法』、『運筆七則』、『字徳学全』、『日米親善論』等の著書が有る。54歳頃より視力が衰え始め、後に歩行困難となったが、子や養女に手を引かれ全国各地を遊説した。晩年にかけて、目が不自由になりながらも書作を続け、特に草書の作品を数多く書き残している。 <状態> 経年の汚れ、シミ、シワがございます。(写真参照) 状態は画像でご判断お願い致します。 商品は画像のもので全てです。 こちらは中古品になりますので、充分ご理解のうえご購入よろしくお願いします。 ■■■サイズ(実測)■■■ 本体:長約197cm 幅約43cm
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