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★パ 秋野不矩 自選展 女流画家インドを描く / 毎日新聞社

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他にも2000冊ほど出品中= 【 #そるてぃ書店 】 目次= #写真2枚目以降 毎度ありがとうございます。古本につき読書用とお考え下さい。詳しい状態などお知りになりたい方は、お気軽にコメント下さい。 この他にも小説、思想書、人文書、エンタメ、SF、 ミステリ、古雑誌など出品しております。 #二千二十二零九 【画家紹介】   秋野不矩(1908年- 2001年)は、静岡県出身の女流日本画家。日本画家沢宏靱との間に6人の子を儲けた。絵本画家の秋野亥左牟は次男。 小学六年の時、東京の美術学校出身の教師と親しく接し、ゴッホやゴーギャンの絵画を知る。静岡県二俣高等女学校から静岡県女子師範学校二部へ進学。卒業後、龍川村の横山尋常高等小学校に赴任するも石井林響の内弟子となった。 師・林響が脳溢血で倒れたことを契機に、「もっと絵を描きたい」と打ち明け、のち京都へ出た。京都では、師範学校時代の恩師の友人福田恵一を頼って、西山翠嶂の画塾「青甲社」に入塾。壬生に嫁いでいた姉夫婦の家を寄食先とし、出品画の制作の際は永観堂に部屋を借りた。 入塾翌年の1930年、帝展にて初出品・初入選して以来入選を重ね、続く新文展で選奨、特選を受賞して無鑑査者となった。戦後は、国の補助を受けず在野にて立ちたいとの思いから、同門の上村松篁・沢宏靱・向井久万・広田多津ほか、東京の同志らとも相寄り、新しい日本画の団体「創造美術」(現創画会)を結成、以後官展との関りを断ち、いわゆる近代日本画家の主流コース(官展会員→官展審査員→日本芸術院会員→文化勲章)を外れた。その傍ら、京都市立美術専門学校(のち京都市立美術大学、現京都市立芸術大学)において後進の指導に当り、助教授・教授職を25年勤続して定年まで勤めた。 この間、50歳で離婚を経験し、その4年後には、佐和隆研教授が持ち帰ったインド赴任の話に真っ先に手を挙げ、ビスバ・バーラティー大学の客員教授として約一年間当地で日本画を教え。帰国した翌年、インドを描いた連作で個展を開催。その後の10年間は職務上の多忙もあって、ほぼ渡印の機会に恵まれなかったが、定年を迎えて以降、長期のインド滞在を重ね、当地の自然と風土を画題にした諸作品で新たな画境を開いた。 #アートの本 #インド #そるてぃ書店 #日本画 #オレンジの本棚 #日本美術刀剣保存協会
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