北方謙三
1947年10月佐賀県唐津市生まれ。
父親が作家という職業に否定的だったが、低迷時代の謙三に「10年間、同じ場所でじっと我慢できれば、何かが出てくるもんだ」と励ました。
高校3年生の時に肺結核が見つかり、「修学不可」と宣告された。柔道部で健康に自信があっただけに、大きな衝撃を受けた、半年間治療したが快復せず、学校の保健室に忍び込み健康診断書を「異常なし」に書き換えて進学した。その精神的な重荷から喧嘩や学生運動に走ったが、一方で小説を書くことに興味を抱き、吉行淳之介のように結核持ちが多かった小説家としてなら、やっていけると考える。
在学中の1970年、純文学作品『明るい街へ』を同人誌に発表。同作が雑誌『新潮』編集者の目に留まり、1970年3月号に掲載され、学生作家としてデビュー。1973年に中央大学法学部卒業。PR誌の企画スタッフや肉体労働をしながら小説の執筆を続ける。デビュー時は「大江健三郎以来の学生作家」と称賛されたが、その後の10年間は100本書いても雑誌掲載は3本のみ。 「その数少ない採用作をまとめてはどうか」と相談を持ち掛けた集英社の若手編集者と話すうち“暗い話を書いている場合じゃない”と路線転換を決めた。そして1981年の単行本デビュー作が『弔鐘はるかなり』。実質的な新人としては異例の“書き下ろし長編”による処女出版で、二度目のデビュー。初版は8千部。 翌年には『逃がれの街』も出版。その後『眠りなき夜』『さらば、荒野』『檻』とヒット作を次々と生み出し、“ハードボイルド小説の旗手”として一躍人気作家となり、「月刊北方」の異名を取る。
灼光
集英社 1991年11月初版発行
四六判 定価1,400円 307P
失跡した青年、水町俊の後を追った元一等航海士・神尾修二はアフリカ・コートジボワールに降り立った。俊を見つけ出し、日本の母親に送り届ければ仕事は簡単に終わるはずだった。だが、彼の足どりはつかめず、捜索はたび重なる妨害にあい、神尾は生命を狙われた。 男の誇りを守るため、彼は灼熱の地で闘いを始める。
*男を語り、男を描く作家。
カバー・本編も経年のわりには綺麗かと思います。写真をご覧ください。
古書籍にご理解いただける方の利用をお願いします。