「批評という鬱」
三浦雅士
定価: ¥ 2500(+税)
岩波書店
天に極ほんのりとシミあり。
カバーにほんのりとスレ汚れあり。
【内容】
文芸批評において充実した仕事を展開する著者の最新評論集。
長年熟成させてきたテーマである青年論、近代的自我論批判、時代を越える人間的普遍、人間的な感動を生み出すもの等をめぐる力作評論を集成。書き下ろしによる長編の吉本隆明を含む諸論考は相互に通底しあい、全体とし1つの作品ともいうべき密度の高いものとなっている。
【著者のメッセージ】
批評という鬱。よりによってどうしてそんなに不景気な表題をつけるの?――と、言われてしまった。「批評と憂鬱」って聞こえてしまうよ、と。でも、そういう表題になってしまったのである。どうしても書かなければならなかった吉本隆明ノートが200枚を越えてしまった。しかも、これ以外の表題はありえないということになってしまった。吉本隆明に批評を強いたのは鬱である。北村透谷がそうであったように、あるいはベンヤミンがそうであったように。ベンヤミンにとってアレゴリーとは鬱の形式にほかならなかった。バロック劇は最初から瓦礫として、破片として構想されていたのである。吉本隆明においてもそうだった。行動の不可能性と不可避性という言葉のその「不」が,鬱の形式を示している。それは自由と必然のあいだに立ちつくすマクベスの最後の台詞に似ている。現代の多くの思想家にとってそれは実存主義と構造主義のあいだに立ちつくすことだった。それは近代的個人主義、近代的自我、すなわち主体につきまとうジレンマだった。吉本隆明はそのジレンマを、自己表出という概念によって乗り越えようとしたのである……。
収録されているのは5篇、「青春の研究」「短歌と近代」「舞踊の身体のための素描」「近代的自我の神話」「批評という鬱――吉本隆明ノート」。
「青春の研究」は1992年に書かれ、「吉本隆明ノート」は書き下ろされた。すべて最後の一篇に収斂している。吉本隆明の引力圏から脱出するためにはそれだけの熱量が必要とされた。人間的にも思想的にも、受けた影響は甚大だったのだ。
いまようやくその学舎を後にする思いである。
三浦雅士
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