「虫の厄災」
今から9900万年前。人類などまだ影も形もなかった太古の昔のこと。
空はどこまでも青く澄み渡り、太陽は圧倒的な存在感で輝きを放っていた。しかし、鬱蒼とした森の中までは、その光は届かない。
昆虫が一匹、甘い匂いに導かれるようにして薄暗い森の中を飛んでいる。
樹の表面を覆った皮の裂け目から、どろどろした液体がにじみ出している。後に「樹脂」と呼ばれることになる液体だ。樹脂は、樹の皮が裂けたとき、昆虫が穴を開けて中に侵入するのを防ぐ役割をしているのだが、これが実に魅力的な香りを発する。その甘い誘惑に抗することができず、虫は樹脂の上に止まった。素敵な香りが身体を包み込む。
虫は、うっとりしながらその匂いを楽しんだ。まさに至福のとき──。
しかし、次の瞬間、とんでもない恐怖に襲われた。甘い香りを発するその液体はあまりに粘っこく、脚を引き抜けなくなってしまったのだ。羽をばたつかせて逃れようとするが、脚は全く動かない。
木の幹の表面を、液体がゆっくり流れ落ちる。それにつれ、虫もずるずると落下を始めた。やがて地面に落ち、その上に新たな樹脂が積み重なっていく。
その虫は、とうとう樹脂の中に取り込まれてしまった。
そして、今──。虫は、その時の姿のまま、琥珀の中で静かに眠っている。
●10年ほど前にタイでどっさり購入し、日本で磨き直しました。珍しい虫など、掘出物があるかもしれません。