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【著者紹介】
野村秋介は、日本の新右翼、民族派活動家。戦後の民族派の代表的な論客として知られた。東京市に生まれ、横浜で育つ。神奈川工業高校中退後、愚連隊に入り、出口辰夫の舎弟をつとめた。網走刑務所で服役中、五・一五事件の三上卓の門下生である青木哲と出会ったことを機に民族主義者となり、自らも三上の弟子となる。
1961年に憂国道志会を結成し、「大悲会」会長に就任した。1963年7月15日、河野一郎邸焼き討ち事件を起こし逮捕され、懲役12年の実刑判決を受けた。1977年3月3日、元楯の会会員西尾俊一、元実動部隊班長・伊藤好雄、元大東塾構成員森田忠明とともに、経団連襲撃事件を起こし逮捕。懲役6年の実刑判決を受け再び服役。
出所後は「YP体制打倒」と「日米安保条約破棄」を軸に、反権力の右翼としての思想を強く主張した。その批判対象は政界・財界からマスコミにも向けられた。1983年、第37回衆議院議員総選挙東京都第2区から新井将敬が出馬したが、同選挙区石原慎太郎候補の秘書により新井への中傷行為が行われた(黒シール事件)。その際、石原の事務所に乗り込み、猛抗議を行った。
静岡県浜松市で一力一家組事務所撤去活動が起ると、「一力一家問題を考える会」を立ち上げ、暴力団・四代目山口組一力一家を擁護した。
1986年、フィリピンでモロ民族解放戦線に拉致されたカメラマンの石川重弘を、遠藤誠弁護士、三代目山口組黒澤組・黒澤明組長らと協力して救出。この件で野村は、マニラの日本大使館の対応を、「無名のカメラマンという理由で見捨てた」と激しく批判した。翌年の1993年10月20日、中江利忠社長(当時)ら経営陣からの謝罪を受けるため、朝日新聞東京本社を訪れ、中江らとの話し合いの後、「皇尊弥栄(すめらみこといやさか。「天皇陛下万歳」の漢語表現)」を三唱後に拳銃自殺する。
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