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2119様感謝‼️太平記より武者絵『篠塚伊賀守』孟斎芳虎 戦絵 大判 一枚 大平板

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2119様感謝‼️太平記より武者絵『篠塚伊賀守』孟斎芳虎 戦絵 大判 一枚大平板   フォロワー様だけの限定割引300 ほんものの浮世絵です。 貴重な江戸から明治初期の作。 素材 和紙 技法 木版画 太平記に描かれる 篠塚 重広(しのづか しげひろ) 南北朝時代の南朝方の武将。 重廣とも。篠塚伊賀守として知られる。 新田義貞の家来。新田四天王の一人。 延慶2年(1309年)、 上野国篠塚で誕生家督を継ぎ篠塚城(現群馬県邑楽郡邑楽町)第5代城主となり新田義貞に仕えた。 元弘3年1333年義貞の鎌倉攻略に参陣建武3年1336年細川定禅の籠る近江三井寺攻略に従軍。 延元3建武5年(1338年)藤島の戦いで義貞没。義貞の弟脇屋義助に従う。 興国3康永元年(1342年)北朝細川頼春と戦い、伊予の世田城に篭城し敗戦。 「隠岐島」に落ち延びて没す。 『太平記』には重広の武勇が描かれている。娘の伊賀局も怪力勇敢で知られた。 勇壮な構図。武者の誉。 サイズ cm たて 37.3 よこ 25.5❎一枚 隣にいるようにリアルな筆さばき, 手甲や刀の鞘など密度高く描かれた人物 美しく映える鎧と装束。鬨の声まで聞こえてきそうな迫力。見事な描写。 歌川 芳虎 1836-1880伝 うたがわ よしとら  江戸時代末期から 明治時代中期にかけての浮世絵師。 歌川貞秀と並び活躍した絵師の一人。 歌川国芳の門人。本姓は永島、名は辰五郎(または辰之助、辰三郎とも)。歌川を称し、一猛斎、孟斎、錦朝楼などと号した。嘉永3年(1850年)には南鞘町六左衛門店に住んでいた。後に長谷川町、中橋松川町2、明治期に神田鍛冶町6に住んでいる。11歳のときに国芳の門人となり、天保(1830年 - 1844年)の頃から作画を開始している。国芳が得意であった武者絵に秀で、役者絵にも錦昇堂版の役者大首絵などの力作がある。例として「新洞左衛門娘夕しで 坂東三津五郎」があげられる。また美人画シリーズや相撲絵、横浜絵などにおいても活躍しており、幕末の時期において活動的な絵師であった。相撲絵は、国芳門人の中で最も多くの作品を残している。 やぶれ、傷 折れ、しわ汚れございます。3枚続きのうちの一枚です。 滅びの美學たおやかなもの愛せるお方 ありがとうございます。 #浮世絵#芳虎#合戦の図#篠塚伊賀守
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