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1963年のアルバニアの切手

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せきせん800
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1963年にアルバニアで発行された産業と工業の切手4種です。 右上の切手には写真のとおり、破れがあります。 切手の図案は、 ・セリックの石油精製所 ・果物の缶詰工場 ・クルブネス銅工場 ・ティラナのウショイモルコンビナート でしょう。 1963年頃のアルバニアは、ホッジャ政権が、ソビエト連邦を「修正主義」と名指しで非難し、ソ連もフルシチョフが党大会においてアルバニアを批判し、中華人民共和国に接近していった時代です。  この時期のアルバニア軍は、中国の支援を受け、兵士が中国人民解放軍の兵器や軍服を用い、ワルシャワ条約機構軍を構成する周辺諸国と比べて異様な軍隊となります。  そして1968年にワルシャワ条約機構を脱退。実質的にソ連を仮想敵国とした極端な軍事政策を取りました。国民ほとんどに行き渡る量の銃器を保有する国民皆兵政策をとり、国内全土にコンクリート製のトーチカを50万以上建設。国内の武装体制を強めました。1970年代には核戦争を想定して、首都ティラナ東方の山腹に部屋106室、広さ2,685平方メートルの大型核シェルターも建設。  一方で農業や教育を重視して識字率を5%から98%に改善して食糧の自給も達成  1976年に毛沢東主席の死によって中国で文化大革命が終息し、1978年に鄧小平が改革開放路線に転換するとホッジャは中国を批判(中ア対立)。中国の援助もなくなり、1980年代には、欧州の最貧国とまでいわれます。ホッジャは「アルバニアは世界唯一のマルクス・レーニン主義国家である」と宣言し、事実上アルバニアの鎖国とも言える状況を招いてしまいます。  しかしその一方で、「ホッジャ主義」と呼ばれる独自の理論を掲げたアルバニア労働党とその支持者たちは、主に第三世界の左派にイデオロギー的に勝利することに成功。日本共産党(左派)、ブラジル共産党、コロンビア人民解放軍のようにホッジャの思想に共鳴し、一時的ながら毛沢東主義より転向する勢力も現れます。  それはさておき、市場主義経済移行後の1990年代にネズミ講が流行。1997年のネズミ講の破綻で、国民の3分の1が全財産を失います。多くの市民が抗議のために路上に繰り出し、詐欺から国民を守ることができなかった政府への不満から暴徒化し、これによって政権が転覆。無秩序状態の暴動が発生しました。 そういうアルバニアの切手です。 c3
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