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乱世を生きる

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月の望み
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中杉弘(博士)先生のブログ(立正安国論) 土曜日特別講座『日本人に打ち込む100本の柱』  進化論のウソ 65柱  本日は、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin, 一八〇九年二月十二日‐一八八二年四月十九日)の進化論がウソであるということのお話をします。進化論はウソっぱちだと、僕は思います。それと同時にキリスト教徒達は徹底的に進化論を否定しています。とくにキリスト教原理主義の人達は、徹底的に進化論を嫌って学校で講義を聞くことすら嫌がります。何故ならば、進化論が本当ならば神は必要ないからです。 どんどん自然に物質ができて、それが結合して生命が生まれてそれが進化の法則によって、だんだん変化して猿から人間ができたという考え方です。この考えは神を否定して、神はいらないのです。この神がいらない思想を唯物論といい、唯物論が共産主義思想を生んだのです。だから、共産主義思想と唯物論は同じことであり、そこに神はないのです。  北朝鮮では唯物論であるから、人間のことを「成分」といいます。良い成分に生まれたか、悪い成分に生まれたかによって、六階級の成分があるらしいのです。最高の階級に生まれたということは労働者の師弟で、まずしくてそこで生まれた人間が第一の市民なのです。とんでもない話ですが、共産主義は神の創造を認めないのです。ですからキリスト教徒達は嫌がるのです。  今度、仏教的に進化論をみたときにどうなるかというと、仏教は因果の法則によって発展しています。神の法則により発展しているのではないという見方をしています。何故、人間は生まれて発展しているかというと因果の法則によっているのです。原因と結果、原因と結果の積み重ねでどんどんと人間にもなり進化をしています。  そこで、仏教は唯物論に近いという人もいて、仏教を唯物論だと言った人もいます。そうではないのです。仏法は唯物論ではないのです。その奥にあるもののことを仏といっているのです。因果の法則の根本のものを仏といっているのであって、仏を神と置き換えれば、別にこれは唯物論ではないのです。  それぞれの行なった因果によって世界は構成され、そして色々なものに変化をしているのです。悪因悪果、業因業果です。だから今度は  文字数に制限が有りますので、ブログを検索してお読み下さい。
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