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激レア『歴史研究』源頼朝 鎌倉幕府八百年記念 1992※源範頼 義経 木曽義仲 平清盛 維盛 安徳天皇 政子 建礼門院 北条時政 後白河上皇

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平成4年(1992)に、歴研から出版された激レア 『歴史研究』で特集は「源頼朝 鎌倉幕府八百年記念」 である。建久3年(1192)征夷大将軍に任ぜられてか ら、本号出版時には800年の佳節を迎え、その記念 号とあって内容も充実している。目次の詳細は貼付写 真を御覧下さい。 【源頼朝について】 御存じ源頼朝(1147~1199)鎌倉幕府初代将軍であ る。義朝の三男で、平治の乱後、伊豆に流されたが以 仁王の平氏討伐の令旨を受けて挙兵。鎌倉を本拠に坂 東に勢力を伸ばし、弟範頼・義経を西上させて木曽義 仲を討ち、次いで一ノ谷・壇ノ浦などの戦いで平氏を 滅亡させた。のち、義経追討を名目に守護・地頭設置 の許可を得て武家政権の基礎を確立したことは、あま りに有名だ。さて頼朝は、後白河法皇とは着かず離れ ずの距離を保った。義経が法皇から寵愛されたことを 許さなかった。開幕の年に後白河法皇が没すると、九 条兼実の計らいにより征夷大将軍となった。 これ以後幕府は、御家人に恩賞地を与え、地頭職で 使用する文書、頼朝袖判の下文から、政所下文に更新 した。以後、数年間、範頼が伊豆流罪にされたり、大 庭景義が鎌倉追放されるなどの事件が続いた。幕府内 では権力闘争が激化し、北条氏が勢力を伸張させた。 頼朝は、わが女(娘)大姫の入内を企んだが、娘が早 世し頓挫した。そして、頼朝は、稲毛重成が亡妻(政 子の妹)の追福のために新造した相模川の橋供養に参 列した。その帰途に落馬し、翌年(正治元)正月13日、 53歳で死去。死因は、さまざまに憶測されているが不 明である。『吾妻鏡』にも記述されておらず、この謎 は本書の中でも言及されている・・・。 【本の状態と発送について】 今から32年も前の本の割には美本に近い「上」レ ベルだが、あまりに神経質な方は御遠慮して下さい。 歴研の本号は、発行部数が少なかった時期であり、ま た鎌倉時代は、意外にマニアックなファンが多数おり、 現在は入手困難となっている。送料は当方が負担しま す。
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