幕末・明治の幕臣・政治家。江戸生。旗本勝左衛門太郎の長男。名は初め義邦、のち麟太郎、維新後は安芳、通称に安房守、海舟は号。島田見山に剣道を学び、さらに永井青崖について蘭学を修業、のち私塾を開く。軍艦奉行。大政奉還に尽力。維新後、新政府の海軍大輔・参議兼海軍卿・枢密顧問官となる。幕末三舟の一人。明治32年(1899)歿、77才。
山岡鉄舟
1836年ー1888年
幕末維新期の政治家。名は高歩,通称鉄太郎。旗本小野朝右衛門と磯の子として江戸に生まれた。剣を北辰一刀流千葉周作に,槍を刃心流山岡静山に学び,山岡家を継ぐ。高橋泥舟の義弟。安政3(1856)年講武所剣術世話心得,文久2(1862)年浪士組取締役を拝命。明治1(1868)年,精鋭隊頭となり徳川慶喜の警護に当たる。その直々の命により西郷隆盛を駿府に訪い,勝海舟との会談を周旋,徳川家救済と江戸開城に力を尽くした。彰義隊にも新政府への恭順を説いたが容れられなかった。維新後は静岡藩権大参事,伊万里県知事などを歴任。同5年侍従となり,同14年には宮内少輔に進む。53歳で病没,東京谷中に自ら創建した禅寺全生庵に眠る。剣客との名がある通り武骨ではあるが,将軍慶喜,明治天皇のいずれに対しても,意気に感じて誠実をもって応えた人である。勝,高橋と共に幕末三舟と称された。
高橋泥舟
1835-1903
幕末-明治時代の武士,槍術家。天保6年2月17日生まれ。兄の山岡静山について修業し,幕府講武所槍術師範となる。慶応2年遊撃隊頭取。鳥羽・伏見の戦い後,謹慎中の徳川慶喜を警護した。維新後は東京に隠棲。勝海舟,義弟の山岡鉄舟とともに幕末三舟と称された。明治36年2月13日死去。69歳。江戸出身。本姓は山岡。名は政晃。字は寛猛。通称は謙三郎,精一。
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