誤解を招きそうなタイトルですが、井伊直興と直該は、改名しただけで同一人物です。
井伊直興は彦根藩の五代目藩主。
息子たちが若くして急死したため、家督をふたたび継ぐことになりました。
このため五代目であると同時に八代目でもあるという、ややこしい話になっています。
そして幕府大老の職にもそれぞれの時に、2回も任命されることになりました。
藩祖直政や幕末の直弼と違い、天下太平の時代に一生を送った人ですが、ときは五代将軍綱吉から八代吉宗にかけての、水面下の政争が激しかった時代。
おそらく直興の人生は、記録には残らないような権謀術数の海の中を泳いでいたものだったのかもしれません。
それではクイズ。正解は是非本書で!
問一
井伊直孝の世子・直滋は、江戸藩邸が火災の際、家臣たちを安全な下屋敷へと避難させた。
家臣を大切にする直滋の人気は急上昇したが、直孝はどのように評価した?
①よくやった。人は国の宝という。家来あっての主君、お家じゃ。
②それで火事が広まり、上様のおわす江戸城に飛び火したら如何いたす?
③火急の際は各自の判断に任せ、そなた自身も率先して動かねばならぬ。
問二
当時はまだ「大老」職が幕府組織の中で制度化されておらず、「執事」「元老」と呼ばれることもあった。
新井白石が日記に「大老」と書いた正徳2年、「武鑑」には「御〇〇御大老」と表記されている。
〇〇とは?
問三
将軍綱吉に信任された直興だったが、やがてふたりの間にはすきま風が吹くようになった。
綱吉が参勤の御触れの中で出した、いささか陰湿な直興イジメとは?
①参勤の際は井伊家とかち合わないように。
②参勤の際は井伊家に先を譲らなくてもよい。
③参勤の際は井伊家に東海道の整備をさせる。
問四
生類憐みの令のさなか、彦根藩に隣接する蒲生郡の伊達藩領で病馬の遺棄事件が発生。
困惑する伊達藩の出向役人たちに彦根藩が出したアドバイスとは?
①あとで問題にならないように、早めに公儀に届け出ておきましょう。
②馬は殺してどこかに埋めて、この一件はなかったことにしましょう。
③その馬は当領の馬かもしれませんので、こちらで処理しましょう。
番外
彦根名物の牛肉の味噌漬は生類憐みの令の施行下でも販売されていた。
大石内蔵助も好物にしていたという。
大石はしかし、牛肉は人よっては「あ(悪)しかる」ものと考えていた。
どんな人にはよくない?
①息子主税のような若い人。
②堀部弥兵衛のような年寄り。
③小野寺十内のような学者。