2010年の戦技競技会に参加した第302飛行隊(百里基地)のF-4EJ改で、機首のバルカン砲の部分にシャークティース(サメの歯)を、垂直尾翼に『爆闘』の文字が入ってます。
童友社の現用機コレクションで度々登場するF-4EJ改。元の金型が良いので出来が良く、何より塗装とマーキングが秀逸です(まあ、相変わらずタイヤが塗ってないが・・・)。
◆趣味のF-4EJ改
F-104Jの後継として採用されたF-4EJ(JはジャパンのJ)は、アメリカのF-4Eファントムのスペックダウン機。
ベトナム戦争の頃、最新鋭のE型のファントムは、機首にバルカン砲を標準装備(D型までは胴体下に対地攻撃用のバルカンポッドを装着し、それを空戦に流用してた)、レーザー誘導によるスマート爆弾の投下や、核爆弾、赤外線誘導の空対空ミサイルを装備できる、当時の最新型のファントム。
F-4EJの1号機と2号機は、マクダネル社のセントルイス工場で製造された機体の輸入なので、アメリカ本土から空中給油しながら飛んで来ました。
が、空中給油装置があれば侵略兵器になる。と当時の野党(共産党と社会党)が政府を追求! 取り外して性能を低下させるという愚かな決定を強いられます。
更に爆撃コンピューターと精密爆撃用の照準器も取り外され、空対地ミサイル『ブルパップ』の制御装置も取り外され、核爆弾の制御装置も取り外されました。
これにより、F-4EJは対地攻撃能力を失います。
核兵器の制御装置を外したのは当然としても、最新鋭のE型を1機20億円もかけて購入したのに、最新の装置を取り外しまくり、物凄く性能を低下させたF-4EJとしてスタートしました。
3号機から11号機は、部品の状態で輸入し、名古屋の三菱重工の工場で組み立てられました(ノックダウン生産)。
12号機以降は、三菱重工でライセンス生産を行い、全部で140機のF-4EJファントムⅡが製造・配備されました。
ちなみに何でファントムⅡという名前かというと、マクダネル社が最初に開発したアメリカ初のジェット艦載機FH-1ファントムが存在するから。
FH-1は1943年から開発が始まり、1945年の3月に初飛行。第2次世界大戦に間に合わなかった為、あまり知られていないマイナーな戦闘機になります。60機しか生産されてないし。
なのでF-4はファントムⅡなのです。F-35がライトニングⅡなのと同じですね。
日本でライセンス生産したF-4EJですが、昭和51年、ルックダウン能力の不足から低空飛行で侵入してきたミグ25の亡命を許してしまった為(ソ連機が日本にやって来るのを防げなかった事になる)、レーダーをF-16の物に換装。コンピューターを新型に交換。対地・対艦ミサイルを運用出来るようにしたF-4EJ改として改良されました。アルファベットと漢字が混ざるとゆー日本ならではの不思議な型番です。
F4EJ改は、『改』になる事によって新型の対艦ミサイルを搭載出来る様になってます。
F-4EJ改の中でも標準的なグレーの制空迷彩塗装に記念塗装が施されてます。