f20082302〇湖月抄 41巻 1冊 匂宮 におうみや 薫14歳-20歳 17丁 北村季吟 源氏物語 紫式部 延宝元年(1673年)〇和本古書古文書
湖月抄 41巻 1冊 匂宮 におうみや 薫14歳-20歳 17丁 北村季吟 源氏物語 紫式部 延宝元年(1673年)〇和本古書古文書
260x190mm
17丁
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北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、
俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。
俳諧は貞門派の域を出なかったが、『新続犬筑波集』、『続連珠』、『季吟十会集』の撰集、式目書「埋木(うもれぎ)」、句集「いなご」は特筆される。
山岡元隣、松尾芭蕉、山口素堂など優れた門人を輩出している。宝永2年(1705年)死去、享年82。
『湖月抄』(こげつしょう)は、北村季吟が著した『源氏物語』の注釈書である。
延宝元年(1673年)成立。『源氏物語湖月抄』(げんじものがたりこげつしょう)と呼ぶこともある。
全体で60巻で、『源氏物語』55巻(「若菜」上下と「雲隠」を共に数えるため)に、発端1巻、系図(天文本)1巻、年立2巻、表白1巻からなる首巻で構成される。
「湖月抄」の名前は『源氏物語のおこり』にある、紫式部が石山寺に参詣し、琵琶湖に浮かぶ月を見て「須磨」の巻から『源氏物語』を書き始めたという伝承に由来する。
『源氏物語』の本文を全文掲載し、その脇に傍注、その上に頭注を書き込み解説を加えるという形式を採っている。
加えて自説を主張するだけでなく、それと対立する先行の説についても収載してあり、基礎的な事柄からほとんどもれなく説明してあるため、
『源氏物語』についての知識が無くてもこの本があればそれだけで『源氏物語』が理解できるようになっている。
そのため、江戸時代を通じ最も流布した『源氏物語』の版であり注釈書であるとされ、
その後も「(『源氏物語大成』といった学術的な校本ができる)20世紀前半までは『湖月抄』で『源氏物語』を読む時代だった」と言われるほど影響力を持った。
具体的には、国学者賀茂真淵による『源氏物語』の注釈書『源氏物語新釈』は、『湖月抄』の刊本に書き入れる形で著され、
最初の『源氏物語』現代語訳者たる歌人与謝野晶子も、この『湖月抄』を底本にしたとされる。国文学者折口信夫も『湖月抄』を用い
慶應義塾大学における講義録の冒頭に「湖月集を使用する」との一文がある。『折口信夫全集(ノート編)』(中央公論社)に収録。
『源氏物語』の本文自体は先行する版本である『絵入源氏物語』や『首書源氏物語』の本文を大筋で受け継いでおり、
三条西家本の系統の青表紙本であると言われるが、河内本や別本の影響を受けている面も多いとされる。