ベートーヴェン 交響曲・第五番 八短調「運命」作品.67
ベートーヴェン 交響曲・第八番 へ長調 作品.93
トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
交響曲一第五番一ハ短調"運命"
“偉大な第五”と称され,“運命”の別名で遍く知られる交響曲一第五番一ハ短調(作品67)は,1803年から1808年初頭にかけての作曲であり、大部分は、1807年に執筆された。この第五交響曲の制作に従事した数年間こそ、L・V・ベートーヴェン(1770~1827)の人生における最も悲劇的な時期であって、音楽家として致命的な襲痾の症状がいよいよ悪化し、しかもそれが遺伝性なることを知つた楽聖は,“永遠の愛人”たる伯爵令嬢テレーゼ・ブルソスウィックとの婚約をみづから解消するという悲痛な立場に立たされたのだった。すでに 1802 年の10月、懊悩苦悶のあまり、有名な“ハイリゲンシュタットの遺書”を認めたのであったが、超人ベートーヴェンは、やがて偉大な精神的転回を成し遂げ、絶望の深渕から雄々しく起ち上がり、英雄的な光輝ある人生の完成に向ってスタートしたのである。“余は余の運命と闘ぶ。それが余を破滅させるからだ”という親友ヴェーゲラーへの書翰は、その間における楽聖の精神上の消息を伝えている。
交響曲一第八番一へ長調
交響曲一第八番一へ長調(作品93)は、ベートーヴェンの手になる九つの交響曲中の最短曲で、彼自ら“わしのチビさん”と呼んだといわれ、“へ調の小交響曲”の別名がある。楽聖自筆の楽譜には、“交響曲、リンツにて、1812年10月”と書かれてある。
1812年といえば、楽聖 41才、冬以来いよいよ整胸が絶望的となり、病苦と貧窮との連続で、彼の人生と芸術にとって最悪の境遇にあった。医師の勧めで温泉地テプリッツに赴いたが、耳疾は悪化一方だった。しかし、ベートーヴェンは持ち前の不屈不撓の反発精神によって、“苦難のみのこの世であることを忘れさせる”(ショーペンハウエル)と評されるこの第八番いかにも嬉々とした、ユーモアに満ちた、理屈も説教もない最も幸福な作品を生んだのである。 この年の五月には第七交響曲が完成したが、これと併行的に第八の想を進めてみたのであり、5月から10月にかけ心血を傾けて書き上げたのだった。
楽しんで聴いていただける商品です。ジャケットに歴史を感じさせるそれなりの痛みはあります。